ひのきの棒(Lv.1)@文系博士院生の社会人

社会人として働きながら、博士課程で哲学を研究しています。専門は和辻哲郎の存在論。文系博士が生きていける社会をつくりたい。

「実学」についての誤解と弊害

お久しぶりです、ひのきの棒です。

長らく沈滞しておりましたが、今回は「実学」について一般に流布している誤解とその弊害について書こうと思います。 

しばしば誤解される「実学

 一般に「実学」という言葉がどのように使われているのかをまず見てみましょう。

「社会生活に実際に役立つ学問。医学・法律学経済学・工学など。江戸時代の蘭学、明治時代の職業教育などもさす。」(goo辞書)

「理論より実用性技術重んずる学問実際生活の役に立つ学問農学工学商学医学など。」(weblio辞書)

 みていただけると分かる通り、どちらも第一義では「実用性」が重視されており、逆に理論・学的体系を軽視しているものになっています。実際に皆さんがSNSなどで目にする「実学(的)」というのもこちらの意味になっていると思います。普段使いで用いる分にはこのように「みんなが正しいと思っている意味」で用いてもかまいません。言語の意味は変わっていくので、そこを批判することにあまり意義はないからです。

 しかしながら、例えば福沢諭吉の『学問のすゝめ』を読むときにこうした辞書の意味を入れて読んでしまうと完全に間違えてしまいます。福沢諭吉の「実学」はそもそも(おそらく慶応に入った人間はみんな注意されると思いますが)”Science”の訳語であり、いまでいえば実証科学に近いからです。

 実際に慶応法学部のサイトを見てみると、一年生は自然科学が必修となっているうえに、そうした自然科学科目にはすべて「(実験を含む)」と但し書きがあります。( https://www.law.keio.ac.jp/curriculum/ )そして実際に講義だと隔週で実験をして、簡単なレポートも書くことが義務付けられています。

 このようにそもそもの訳語としての「実学」というのは「実証/事実を伴った学問」を指しているのであり、「実際に役立つ学び」などというものでは全くありません。

 誤解が流布した弊害

  しばしば他大学でも誤った意味で「実学」を謳ったり、「教養」と「実学」が対比されたりします。慶応自体にもビジネスのイメージが強くあるので、そうしたイメージを使ってあえて間違った意味で自分のビジネスをブランディングしている人間もいます。

 しかしながらその結果、本来の「実学Science」が重視した科学的姿勢自体が「実学と対比されるということは実用的じゃないんだ」と勘違いされたり、学問というもの自体が一部の人間の遊びくらいに思われてしまうという事態が起きてしまいます。

 そういう間違った使い方をする人は、「エクセルの使い方」だとか「書類の書き方」、「営業スキル」のようなものばかりを強調し、「教養なんて役に立たない!」と言います。しかしそれなら言っておきますが、「エクセル」は自動化できますし、書類は簡易化されますし、営業というのは課題発見能力と、相手の課題を自分のサービスの特長とマッチングさせて買わせるもので、通り一遍の「マナー」だとか「スキル」なんかで突破できるもんじゃありません。むしろ実証性や緻密な分析が必要とされます。「実学」の原義ごときも知らずに多用する人間に実証性があるとはまったく思えません。

 僕は何人か「ビジネス講師」みたいなものを見てきましたが、彼らのレベルを計測する良い指標があります。それは「どのくらい事実に基づいているか」をファクトチェックすることです。

 例えば学習関係でいえば、こんな図がよく引き合いに出されます。

f:id:hinokistick25:20200526155430j:plain

 ネットで「ラーニング・ピラミッド」と調べれば、こんな感じのピラミッドが山ほど出てくるのですが、僕はビジネス講師がこの図を出して来たら一発で「ハズレ」認定します。なぜならこのラーニング・ピラミッドには根拠が全く無く、その元と言われる図も大きく改変されているからです。(参考論文:

https://nanzan-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=1672&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

)

 ほかにも「マズロー欲求段階説」をそのまま引用してきたら終わりです。こうした「有名な説」を、自分で調べも検証もせずにプレゼンしている時点でまったく見込みがありません。もしそういう科学的な根拠を少しでも入れたいのなら、Google Scholarで調べるか、有斐閣で良い教科書が大量に出ているので買って該当するところを読めばいいんです。ただもちろんこうしたものを「仮説」として受け入れて参考程度に紹介するならいいでしょう。(信憑性がないことにも触れないといけませんが)

 こんな風に「実用」を強調する人は得てして自分では何も調べず、ビジネス書やネットの表層情報をうのみにしている場合が多いです。こういう人間に学問を馬鹿にされるのはいやになります。

正しい意味での実学とビジネスは対立しない

  「学」を「学」たらしめるのはその体系性です。何らかの原理・原則があって、その前提のもとで展開するのが一般的(古典的)な学というものの本質です。何らかの知識を表面だけ受け取ったとして、その真偽を判定する根拠になるのは「体系における位置づけ」であり、そうした基礎体力の重要性がなければ先ほどのような過ちを犯しますし、出来る人間になればなるほどそうした表層的理解を見抜いてくるものです。

 人間には限界があるのですべてをチェックできるはずはありませんが、しかしだからといって実証性と体系性を軽視するならば、それはただ根拠がない思い付きにならざるを得ません。

 根拠のない思い付きだけでうまくいく真っ当なビジネスがもしあるならぜひ教えて欲しいものです。もちろん情報商材みたいなものは「真っ当」ではありませんよ。