ひのきの棒(Lv.1)@文系博士院生の社会人

社会人として働きながら、博士課程で哲学を研究しています。専門は和辻哲郎の存在論。文系博士が生きていける社会をつくりたい。

コミュ障はコミュ障でいい

こんにちは、ひのきの棒(Lv.1)です。

 

突然ですが、皆さんは自分のことを「コミュ障」(コミュニケーションに何らかの障りがある人)だと思いますか?

 

普段の僕は微妙な所なのですが、この前出社してみるとやっぱり自分はコミュ障なんじゃないかと思うことがありました。

 

 僕には信じられませんが、世の中には「会社に行くほうがみんないるし楽しい」と思っている人や、「実際にあった方が話しやすい」とか「実際に会った方が相手のことが分かる」とか思っている人がいます。

 一体何を根拠にしているのか知りませんが、そういう人はその時点で自分が見ている世界が非常に狭いことに気付くべきでしょう。

 世の中には「みんながいる」場所には行きたくない人なんてゴマンといますし、対面だろうがZOOMだろうが、普通は相手の反応は分かるし、本気で隠すのが上手い人は対面だって分かりません。

 

 僕はといえば、正直営業の時や別部署の人と話すくらいだったら異常に愛想よくできます。敬語だって変な使い方はしないですし、表情も他人より読み取るのは得意な方だと思います。でもそれじゃ出社して、会社の人とずっと一緒の空間で仕事している間もずっと出来るかと言えば、完全に「NO」です。

 例えば会社に8時間程度いると仮定して、その間ずっとスイッチを入れていればとにかく疲れますし、またいきなりMTGになった途端スイッチを入れても気持悪がられるので、スイッチを切り替えるタイミングというのが難しく、結果としてスイッチを切ったままでいることになってしまいます。

 いわゆる「コミュ障」にはいくつか種類がある、というのはネットでもしばしばいわれていることだと思います。

 

①本当に何を考えているのか分からないからコミュニケーションに難がある

ひともいれば、

②「正解」の振る舞いは分かっているが、それを実行するのに他人よりも体力を使う

ひともいます。他にも

③ただただ緊張してしまい、言葉が中々出てこない

とか、あとは逆に

④相手の表情や空気を読まずに話しまくってしまう

みたいに、一見コミュ障じゃなさそうな人もいますね。

 

タイプに分けるなら僕は多分②とかなのかなと思います。

 根本的に自分が他人に合わせなければいけない、というのが嫌いなので、MPを使うというより「エネルギーを相手に割く気にならない」と言った方が正確かもしれませんが。これはあまり良くないこととされるイメージはありますが、僕みたいな人間にとってはコミュニケーションにおけるエネルギー量は、相手が恐怖心とか抱かない限りは減らしていっていいと思います。

 ビジネスマナーとかは正直な所、皆がそこのエネルギー量を増やそうとしたがために、不要なまでにインフレしてみんなが逆に窮屈になっているという典型的なパターンなのではないでしょうか。

 新人研修とか昔受けた時に思いましたけど、マナーというものは本当にビジネスで相手を減点評価するためにしか存在しないのですが、そういう外面的な印象ばかりを指導して中身を見ない、そもそもそのマナーが「どうして窮屈なのか」すら反省出来ない、というのは、一部の界隈の悪しき風習だと思います。

 コミュ障はコミュ障だろうと、必要なことを伝え、必要な情報を得て、分からない部分は質問するという所が出来ていれば必要以上にコミュ力ある人間の振る舞いを真似しなくてもいいです。それよりもむしろ、自分のような「コミュ障」という性質を利用し、そういう一定数のコミュ障がどういう環境であれば居心地が良いのか、もし相手がコミュ障ならどういう接し方をすれば居心地が良いのかを提示することの方が重要だと考えています。

 例えば口頭で話すよりも文字情報の方が良いのであれば、Slackの中にそれぞれが自分のチャンネルを持ち、それにプロジェクトのメンバーを入れておき、Twitterのような形での呟きをメインにしつつ、連絡などはメンション付けたりDMすればいいと思いますし、いまのリモートワークの方が楽な人にはそのままリモートを維持すればいいわけです。

 いまはどうしても既存のビジネスに「戻す」ということを意識してしまいがちですが、一義的な「コミュ力」ばかりを見て、一つの指標で人間を評価するのではなく、せっかくリモート含めて社会実験が出来たわけですから、多様な人材をいかにして多様に開花させていくのかという方向にシフトしていくべきかと思います。